2024
02.15
生成AIの実用化で問われるライター意識とは?

生成AIの実用化で問われるライター意識とは?

WRITING

生成AIは昨年の新語・流行語大賞にも選ばれるなど大きな話題になりました。文章、音楽、画像、動画などあらゆるコンテンツを秒速で生み出す魔法のツールです。ただこういう便利なシステムってよくない方向に転がりやすいですよね。ここ数年は使う側の人間の意識が問われているような気がします。

AIを脅威の存在にしてきたのは人間の想像力

生成AIの登場により「将来、仕事を奪われるかも」と不安やリスクを感じている人は少なくありません。

ChatGPT(チャットGPT)は人間らしい文章を生成できるため、わざわざ生身のライターを起用する必要がなく、そうすれば対価も支払わなくていいし、短時間で大量の記事をアップできるよねという発注サイドの理屈もよくわかります。原稿を書いたり記事を作成したり。ライターとしてこれらの作業を代行しているだけなら、1~2年のうちに廃業を迫られてもおかしくはないでしょう。

ひと昔前だとAI=人類の脅威になり得るというイメージでした。ターミネーターのスカイネットみたいに人類を滅亡の危機まで追い込むとか、マトリックスの危ない世界観とか数々の映画でAIの暴走ストーリーが描かれてきました。

確かにAIの立場だと「人間なんていない方がいい」という結論に至るのは当然なのかもしれません。

同じAIでもリアリティがあったのが2014年公開の映画「エクス・マキナ」です。女性を模したアンドロイドにチューリングテストを行っていく過程で事件が起こるというもの。チューリングテストとはAIの完成度をチェックする診断方法です。テスト担当者が壁の向こう側の相手に質疑応答を繰り返して、AIなのか人間なのか判断できなければ完成したということ。この映画でもアンドロイドは暴走しますが、AIと人間の精神的距離が近いという点でとても新鮮味がありました。

さらに人間に歩み寄ってきたのが2020年公開の映画「アーカイヴ」です。AI作品にはめずらしい旧型アンドロイドが新型アンドロイドに嫉妬するという切ないシーンに静かな恐怖を覚えました。

いずれにしても怖い存在として描かれることが多かったAIですが、chatGPT(チャットGPT)をはじめとする生成AIの登場によってクリエイティブ業界はよくも悪くも揺れ動いています。

産業革命なのか、それとも産業破壊なのか。

似たような状況は四半世紀前にもありました。

かもしれないことを考え続けていても時間のムダ

90年代後半からパソコンが広く普及したことで、手書きだったのがWordのようなワープロソフトに、電卓計算だったのがExcelのような表計算ソフトにアップデートされました。誰よりも字がきれい、誰よりも計算が早いともてはやされていた人たちがパソコンに嫉妬したのかどうかはわかりません。しかし旧態依然のアナログ派がジワジワとOA化の波に飲まれていったのは事実です。

さらに歴史を遡れば蒸気機関、電気、電話、自動車、産業用ロボットなど科学技術の大幅な進歩が人々の働き方を変えてきました。

が、みんながみんな仕事を失ったかというとそうではありません。新しい技術を使う側に回ることで生産性を向上させてきたからです。

わたしたちが実際に求めてきたのは時短だと思います。ご存知のように物理的に時間を短くすることはできません。でも時間の使い方は変えられます。仕事が早く終わればプライベートの時間が増え、食事やデートをゆっくり楽しむことができます。

と、考えると文章を生成してくれるChatGPTはライターの強い味方です。偏りのない博学、外国語もペラペラ、レスポンスが秒速。優秀なアシスタントが1人いるようなもので、少なくとも資料の要約作業ではとっても助かっています。読んで理解して整理するだけでもまとまった時間が必要ですからね。

AIに仕事を奪われるかもしれない。

これは地球が滅びるかもしれないという不安と同レベルではないでしょうか。世界規模の核戦争、自然環境の悪化、巨大隕石の落下、地球外生命体の襲来、危険ウィルスのまん延。地球滅亡の可能性は常にありますが、いちいち気にしていてはやっていられないのが社会生活です。

つまり考え続けたところでなにも変わらないのであれば、今の仕事を大切にしていきましょうと。自ら望んだ時短のために生成AIを活用するのが賢い選択だと思います。

便利な生成AIが悪い意味での武器にならないように

ところで「さとるの化け物」という話をご存知でしょうか?

原作は日本沈没などで有名なSF作家の小松左京さん。2000年にフジテレビ「世にも奇妙な物語」にて実写されたホラー作品です。

相手がなにを考えているのかわかってしまう化け物が「今、お前はこう考えているだろう」と常に先回りして言い当てながら、最終的には意識を食べて廃人にしてしまうと。

実写版の方では次のような展開でした。

焚火を囲んで向き合う人間と化け物。考えていることを次々に言い当てられた人間は恐怖を感じます。ところが火の勢いではねた木の枝が化け物の目を傷つけることに。化け物は最後にこう言い残して森の中へ逃げていきました。

「人間は考えもしないことをするから怖い」

木の枝がはねたのは人間の考えでも行動でもないのですが、化け物がそう思ったように不可解な現象は怖いですよね。ここでの木の枝は焚き木であって、誰かを傷つけるような武器ではなかったはずです。

わたしたちの身近なところにも似たような話はあります。

火とかナイフとかインターネットとか。

使い方を間違うと武器になります。SNSの誹謗中傷なんかもその類だと思います。誰かを傷つけてしまった人たちは口を揃えてこう言うのです。

「そんな意識はなかった」

もし生成AIが脅威になるとすれば「さとるの化け物」の思惑通り、使う側の人間が意識を失ったときかなのかもしれません。なんとなく使うのではなく人間らしい目的意識を持って生成AIと向き合うべき時期が今なのではないでしょうか?